苦しみの比
こんにちは。雪風です。
「シンカリオン」のアニメを見ていて、思った事を書かせていただきます。
59話。
イザさんとの対話の道が途絶えてしまった…
深刻な空気に包まれる一同。
リュウジくんも彼の関わった事故で父親を亡くしている。
そんな人物と対峙しなければいけないのだ。
だが…
「その重さは俺たちの比じゃないだろう」
「親父の死は不幸な事故だった」
割り切った態度…
ハヤトやホクトパパのことも気遣っています。
…だけど、自分の苦しみや他人の苦しみに「比」も何も、あるんだろうか。
そんな彼。
後の鍋のシーンで本音を吐露しています。
「正直に言うと冷静でいようとすることで必死だったんだ」
やっぱり…割り切ったような言い方してたけど、本当は辛かったんだな…
苦しいのに、それを押さえつけちゃダメなんだよ。
…だけど。
「彼にそんな事言ってますが、自分はどうなんだ?」
…思えば私もそうだ。
「このぐらい苦しくないよ」
「私以上に辛い人だっているんだから…」
そう考えて、自分の苦しみを押し殺してしまうことがある。
だからリュウジくんのことああだこうだ言えない…
彼が自分の苦しみを必死で押し殺してるのを見て辛くなるように、
私も苦しみを押さえつけるのはよくないんだなって…
どうしても自分を愛せない私。
自分を受け入れられない。
「自分の苦しみに『比』も何もあるのか、苦しいのは一緒だ」
さっき言った言葉を自分にもかけてやりたいよ。
どうしても自分には優しくできないけど。
少しずつ少しずつ。
自分をいたわっていけたら…
…余談だけど先ほどあげたツイートの投稿者さんすごいな。
あんな「テーブルの上の飲み物の違い」とか「ストローの袋の違い」とかに一発で気づいたんだから!
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