その気持ちは、確かに自分の中に生きていた。
こんにちは、雪風です。
前から言っているあのシーンを見ていて、とあることに気づきました
「シンカリオン」59話の、リュウジくんが
「正直に言うと冷静でいようとすることで必死だったんだ」
と不安を吐露するシーン
今まで、その気持ちをどこか他人事のように感じてた。
「自分にはない気持ちだ」って思ってた。
でも違った。
その気持ちは、確かに自分の中にも存在した。
いつも不安な気持ちを抱えて生きている自分。
「人を怒らせてしまったら嫌だ、怖い」
「嫌われるのが嫌だ」
「また体調を崩してしまうのではないか」
「自分の頑張りは意味がなかったんじゃないか」
「体調が悪い。このまま死ぬんじゃないか」
etc
それでも
「こんなのたいしたことないよ」
「もっと苦しい思いしてる人いるんだから」
「こんな風に感じるのは自分が弱いだけだ」
そう言い聞かせて、自分の苦しみにふたをしてきた。
本当は、強い不安や恐怖、悲しみを何度も何度も訴えていたのに。
彼も同話で語っている
「その重さは俺たちの比じゃないだろう」
と
私は思った
「『比』って何だろう
苦しみに優劣も何もないんだから
そういう風に言う事ないのに…」
だけど、自分もそうだった
そうやって押さえつけても、
苦しみや悲しみは止まらずに加速していき、それどころかどんどん悪化していき……
精神や体調に支障をきたすこともあった。
そんな自分が情けなくて、嫌で、人にも心を開けなかった。
かたくなに「自分の世界」にこもっていた。
本音を語るのが恥ずかしくて、怖かった。 否定されたらと思うと。
変な意地やプライドが邪魔をして、語りたくても語れなかった。
…68話で彼は語る。
「俺もいずれ、俺みたいな心の開き方が下手な奴を導いてやりたい」
と。
だから彼も自分が口下手で不器用な自覚はあると思われる。
私も実は、本音を吐き出すのがものすごく下手で不器用です。
そんな内向的で臆病で不器用な自分が嫌いだった。
好きになれなかった。
いつも否定していた。
だけどそんな彼を見ていたら
そして好きになってしまったことで
「こんな自分でも良いのかな」
と少しずつ思えるようになった。
未だに自分を肯定することが苦手な私。
「こんなんじゃだめだ…」
「なんでこんなこともできないんだろう」
「私なんて全然がんばってないよ」
自己否定ばかり
だけど
少しずつ自分を受け入れ
肯定できるようになっていけたらいいなと
自分と似たような気持ちを抱え
それでも懸命にがんばっている彼を見たら
少しは自分を受け入れることができそうだと思ったのです
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